柳生流「閂差し」

柳生新陰流は二尺前後の小太刀の技に工夫を凝らし、後の先と言われる相手に仕掛けさせて逆にこれを制する刀法を極めた流派として知られています。この流派は他に類例がないほどに独創的な流派で、使用する刀は当時の定寸より10センチ前後も短く、逆に身幅と重ねはたっぷりとして量感に溢れた剛刀を好んで使用します。柳生連也斎の鬼の包丁とよばれる刀が伝わっていますが、これがその典型です。また、刀を修める外装(拵)も独特で目貫が通常の打刀とは逆につく(逆目貫)などの特徴があります。

また、柳生の使い手は刀の差し方も独特でした。当時日本刀の差し方で一般的であったのは「落し差し」と呼ばれる帯刀法で、柄を胸の付近まで引き上げて、鞘の鐺(先端)は地面に突き刺さるように下向きに差していました。この差し方は鞘が身体近くに密着するので、他人と鞘が当たる危険性が少なく好まれたようです。一方、柳生流の刀の差し方はいわゆる「閂差し」(かんぬきざし)と呼ばれ、刀が大小共に地面と水平になるように腰に差すのを掟としています。柳生流が変わっているのはこの閂差しの角度です。普通の閂差しは左に差した脇差の柄が右腹に来るように差し、大刀は左腰からまっすぐ前に延びるように差します。しかし、柳生流の閂差しは大刀・小刀共に柄が正中(体の中心線)に来るように差すのです。右腰、左腰そして刀の柄の三点を線で結ぶと二等辺三角形になるように差すといいます。柳生流は先に述べた通り、敵に抜かせて、逆に相手を切り倒す剣の理を持つ流派です。敵の懐に入って神速の抜き打ちを行うためにこのような独特の差し方が考案されたものと推測します。

刀の差し方一つでどの流派の使い手か判るなんてちょっとカッコ良いですよね。皆さんも時代劇をみたら武士がどのような刀の差し方をしているかチェックしてみてください!

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