【一撃必殺】薩摩の示現流

一撃必殺といえば薩摩の示現流の代名詞となっています。この刀法は初太刀に渾身の気迫を込め、防御については考えないという恐ろしいまでの攻撃性を特徴としています。鳥羽伏見の戦では猿叫と呼ばれる裂帛の気合と共に切り込んでくる薩摩兵の初太刀を受けた幕府方の兵が、自らの鍔が額にめり込んで刀ごと斬られて死亡する例が数多く報告されたといいます。まさに、一撃必殺!かの近藤勇率いる新選組も薩摩の初太刀は避けよといって恐れたのも納得です。実はこの薩摩の初太刀を唯一受け流した流派があります。この流派の名は立身新流という居合術の流派です。驚くことに、かの福沢諭吉が免許皆伝の腕前であったというから二度びっくりです。

幕末の京都で薩長が争った禁門の変の折に、さきの薩摩の初太刀を見事に受け流したという話が伝えられています。その刀法は柄を握る右手を柄と密着させ、その柄と右腕を左手でもろともに握り、刀身を頭上に突き上げて斬撃を受け流すといいます。この防御の型では、刀の鞘は左の肘部分で支えられ、刀の柄部分は二本の腕の力と手首から肘部分で受け止める形となります。いわば示現流の初太刀が繰り出す一点にかかる衝撃を鞘と両腕、さらに両肘の面で受け流すという鉄壁の防御型であるといえます。

福沢諭吉は「学問のすすめ」や慶應義塾大学の創設者として知られていますが、立身新流という居合術を修めた立派な武士であったことに感銘を受けます。福沢は「西洋かぶれ」と尊王攘夷派に嫌われ何度も暗殺のターゲットにされましたが、この護身を重視する立身新流の剣理を体得していたためか、「生きて大事をなす」活躍ができたのでしょう。今は失伝した立身新流の名を記憶にとどめたいと思います。

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