お守り刀の風習

お守り刀の風習は皇子や皇女のご誕生の折、その健やかなる成長を祈念して天皇が皇子皇女に下賜する皇室行事である「賜剣の儀」をその淵源としています。

平安時代中期の史書「九暦」には村上天皇の皇子、後の冷泉天皇ご生誕の折(西暦950年)、野釰・犀角・虎首を「置枕上為護」、つまり「お守りとして枕上に置く」とあり、野釰がお守り刀の魁であることがわかります。しかし、この事例はあくまでも歴史書などにみられるお守り刀の始原であり、実際の事例はさらに古いのではないかと想像されます。なぜなら、古墳時代の墳墓には青銅の剣や鉄剣などの副葬品が出土しており、この時すでに御剣が黄泉の国への旅立ちを守護する呪術的・宗教的な意味合いを持っていたことがはっきりとわかるためです。

古代において人の死は単なる死ではなく転生への第一歩と考えられていました。つまり死は新たな生でもあったのです。もしかすると大和朝廷成立のはるか以前より、お守り刀の風習は我国に根付いていたのかもしれません。

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