日本刀の淵源

日本刀の淵源は古代中国や朝鮮半島を経由して我が国にもたらされた直刀様式の剣(両刃)や切刃造と呼ばれる片刃の横刀(たち)と考えられています。我が国に限らず、鉄製の武器は青銅製の武器に比して耐久性と強度において比較にならないほどの強靭さを持っていたため、その鍛造法は秘匿され、権力者によって厳重に管理されたと推定されます。
逆にいえば、古代国家のある場所には必ず鉄器の生産拠点が国家運営上必要であったといえるでしょう。例えば、御物の小烏丸の作者とされる奈良の天國、古伯耆の安綱・豊後行平などはその典型例と考えられます。
世に知られた日本刀鍛造の一大拠点は大和国・山城国・備前国・相州国・美濃国と相模国を除いてすべて西に偏在しています。これは古代国家権力の創成とその統合の歴史と無関係ではありません。また、例外に見える相模国も鎌倉幕府という巨大権力の発生に伴って日本刀の産地として発展したという点では他の四か国と何ら変わりません。
我国の国家統合の歴史は神武天皇の神武東征という神話として語り継がれてきました。神武東征のルートをたどると宇佐(豊後行平)・吉備(備前国)・機内(山城国・大和国)と日本刀の最も古い刀工群の活躍地とピタリと一致します。

さらに、オオクニヌシの国譲りの神話の舞台となったのが古代出雲(出雲伯耆)で、こちらも古伯耆の安綱の活躍地と見事に一致します。問題は美濃国ですが、一般的に美濃国は大和より移住した志津や金重以後に発展したと見られているようですが、ここには良質の鉱石が露出した金生山があり、金生山の南には金山彦神社が鎮座します。また8㎞ほど南西には同じく金山彦を祀る南宮大社があります。南宮大社は美濃国一の宮であり、金(かね)の総本宮として古代以来多くの崇敬を集め、社宝として重要文化財に指定される太刀 銘 三条作が伝えられるなど鉄や日本刀との関係の深い地域であったことがわかります。また、金生山の付近には多くの古墳群があり、特に大塚古墳にいたっては岐阜県下最大の前方後円墳であり、同地が古墳時代から鉄を産する重要な拠点であったことが明らかです。つまり、美濃国は志津・金重以前から鉄の生産拠点として重要な役割を果たしていたと考えて良いでしょう。

神話の時代より連綿と続く鉄器日本刀の歩んできた壮大な歴史の一端が古の刀工達の遺例を通じて垣間見えるのです。これぞまさしく日本刀のロマンですね。

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